日本赤十字岡山県支部の防災ボランティアとして
4/29から5/5までの
(移動を含めた)一週間活動をしてきました。
ボランティア活動の現場は気仙沼の
ある港だったのですが、本当にがれきの山。
未だに数名の行方不明者がおられるというところで
残されたご家族の事を考えると胸が詰まる思いでしたが、
それでもほんの僅かでも力になれればという気持ちだけで
がれきを木材や金属、家電製品などに分別をしていきました。
港の岸壁は地盤沈下により満潮時には浸かってしまい、
砂利を引いた仮設の道さえ海水が入って来そうな勢いでした。
磯の香りに魚の腐敗臭、火事も起こった様子で焦げて真っ黒になった
柱や板が焼けた香りとともにあちこち転がってます。
灯油や重油も漏れ出しており、それを吸った畳は手袋をして
持とうとしても重く、滑りました。
食器や、化粧道具、値段が張ってある商品等も多数散乱して
確かに直前までここで生活が営まれていたんだということが
わかります。
総勢41名のボランティアの力で
全体の被災規模からいえば、本当にごく僅かな範囲でしかありませんが
片づけをすることができました。
それでも、現地で住んでおられた方たちがやって来られて、
「助かります。ありがとう。」と心から喜んで頂けて
やって良かったと思えました。
でも、被災者の皆様は自分たちの事だけでも大変なのに
私達にまで心遣いしてもらっているのではと思うと、
返す言葉が見つからず、ただ会釈をするだけの私でした。
ボランティア活動期間中は各自持参した飲み水や食糧で食事し、
日赤が用意してくれたテントの中で寝袋で寝るという
過酷なものでした。(もちろん風呂も無し)
しかし、41名を束ねる団長やサブリーダーの方々の苦労を思えば
そんなことはまだ軽いもので、
ましてや被災された方たちからすれば
まだまだ遥かに恵まれた設備や環境のはずです。
本当に団長と3人のサブリーダーの方達は寝るとき以外
ずっと働いていました。
岡山から現地の宮城県気仙沼までの移動は
両備バスさんが提供してくれた大型観光バスに30名ほど乗車し、
残りは日本赤十字社岡山県支部の車両3台に分乗して行きました。
私はその内の1台の交代運転手要員としても参加したのですが
これも結構大変でした。
本当に皆さんよくやったなぁというのが正直な感想です。
参加された中には体調を崩したり、
釘の踏み抜き等多少ありましたが、
全員無事に活動をやり終え、岡山に帰ってこれたことが
一番良かったです。
段取りをして下さった日本赤十字社岡山県支部の皆様及び
ボランティアの方々等関わった全ての皆様に御礼申し上げます。
参加させてもらい、本当に有難うございました。
写真は防災ボランティア証と
今回被災地に入るにあたって、私が寝る時も首にかけていた
ドッグタグ(緊急連絡先や血液型を書いたもの)
ホイッスル、最小LEDライト。
ボランティアといえど、被災者になるかもしれないという
覚悟の上での参加。本当に無事帰宅出来て何よりでした。
(テントで宿泊中にも余震が2度ありました。)
目をつむれば、
今でも現地の途方もない光景が一面に広がり
涙が出ます。
でも同時に自衛隊の皆さんが必死になって活動されていることも
思い出します。
一日も帰らず、派遣されてからずっと頑張っていると聞きました。
本当に頭の下がる思いです。どうかお体に気をつけてください。
私もしばらくは家で休養を取り、また機会が貰えるのであれば
再び参加したいと思います。
気持ち良く送り出してくれた嫁さんに本当に感謝。
いつもわがままを聞いてくれて、ありがとう。